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⑧上善は水のごとし

私は水という存在がとても好きです。日本人で水が嫌いだという人は少ないと思いますが、日本海の離島で生まれ、きれいな海のそばで育ったせいか、海を見たり波の音を聞くとリラックスでき、本当に心が癒される。また渓流に行ったり、そのせせらぎの音を聞くのも好きだ。親父とイカ釣りに行ったり、友達と舟をこいでサザエ取りに行ったり、田植えや稲刈りなどの合間に、近くの川で鮎や鰻を取って遊んだ。そんなことが脳細胞にしみ込んでいるのだろう。


地球は水の惑星とも呼ばれ、地表の7割近くは海に覆われており、生物は太古より水によって生命を育まれてきた。雨が大地を潤し、川となり、やがて海に集まり、また水蒸気となって雨や雪を降らす。その繰り返しだ。全ての動物や植物は水なくしては生きられない。まさしく水は生命の源である。



ご存知の方も多いと思いますが、「上善は水のごとし」とは老子の言葉の一節です。

高校時代は、建築科進学を目指して理系コースを選択しながら、肝心の数学と物理の成績が芳しくなかった。その反動かどうかはわからないが、倫理社会や漢文の授業は楽しかった。とりわけ漢文の中でも、李白や杜甫、孔子・孟子よりも老子や荘子に心が惹かれた。図書室に行っては、意味もよくわからない老子や荘子の本にかじりついていた時期もありました。


「上善は水のごとし。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所におる、故に道に幾(ちか)し。」 水は大地に恵みを与え作物を育てたり、人々の喉を潤したり、様々な利益を与えてくれるが、四角い器に入れれば四角になり、丸い器に入れられれば丸くなる。そして人の嫌がる低いほうに低いところに行こうとする。人としての善い生き方とは水のようなものであると…。


しかし時に水は、豪雨や津波のように大変な災害ももたらす大きな力も持っています。老子は別な箇所では、「天下に水より柔弱なるはなし。堅強を攻める者、之に勝る者なし」と説き、これは“柔よく剛を制す”のことわざの元にもなっています。水は一見しなやかで柔らかそうであるが、一方で重くて堅いものも動かしてしまう強さも持っていると…。


地球上の水の97%が海水であり、3%の淡水のなかでも実際に飲める水は0.0001%くらいと言われています。汚染が進む表層水、枯渇する地下水といった水危機のなかで水資源の争奪戦が起きています。日本の科学力と技術力で、治水をしたり、海水や濁った淡水も飲める水にして、もっと世界中の水不足の人々を潤してもらいたいと願っています。


海の汚染も深刻で、海洋プラスチックゴミが増え続け、このままいけば2050年にはその重量は魚類の全重量を超えるのではと指摘されています。海と水の恩恵に浴している日本人は“水と平和はただで手に入る”という考えを見直すべき時だと思うのです。(最近はずいぶん変化してきたようですが…)日本人は元来、大自然への畏敬の念を抱き、自然と共存し続けてきた民族でありますから、今こそその感性を生かすべき時だと思うのですが…。





私がWEBサイト制作を手掛けさせていただいた企業で、海洋プラスチックゴミ削減のためバイオマスプラスチック商品の展開にとりくんでおられる企業があります。関心のある方はホームページをご覧下さい。







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