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⑦ロシア絵画

絵画の作品の仕入れなどで、ずいぶん海外にも足を運んだ。ヨーロッパ(フランス・イギリス)、アメリカ合衆国、南米(ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ等)、そして東アジアでは韓国・台湾・中国など。かなり以前の話になりますが、ロシヤ(ソビエト連邦からロシアに移り替わるまさに冷戦が終わろうとしていたミハイル・ゴルバチョフ大統領の頃で1992年頃)にも何度か訪問した。その時のロシア絵画についての思い出を書いてみたい。


冷戦時代が続いていたことも影響が大きいと思いますが、日本ではロシア絵画にお目にかかることはまれでした。ロシア絵画と言えば、訪問以前は社会主義リアリズム的な絵画ばかりを連想していました。色々な画家のアトリエを訪問している間に、そうでもないことが解ってきて、日本人にも通じる自然界にたいする敬虔な心情、素朴ではあるが奥深い何かを感じることができました。


ロシア絵画により関心を持つようになったのは、画家と作品を求める旅で、一緒に画家のアトリエを回ってくれた、ニコライ・トカチェンコ氏のおかげでもあります。ウクライナの首都キエフ生まれの彼はモスクワ大学で日本文学を学び、日本語が堪能であったので何度か来日していたらしい。映像の仕事、通訳、アーティストの紹介や、クラシックバレー団の公演企画など、マルチにいろんなことをこなしていた。礼儀正しく、心優しく、思慮深い人格者であった。意気投合し、色々と話し合ったが、トカチェンコ氏の口癖は「マツウラサン、どう~思いますか?」であった。当時の転換期のロシアの現状を憂いつつ、良き未来を模索しているようだった。


初めてロシアを訪問した時期が真冬で、モスクワは毎日氷点下5℃くらいだったが、湿度のせいかあまり寒くは感じなかった。パサパサした乾燥した雪質の雪で、雪明かりの夜道を歩きながら、トカチェンコさんがロシアやウクライナの民謡を歌ってくれた。私も負けじと、日本の童謡「ゆーきやこんこ」と「ペチカ」を歌ってお返しした。モスクワから古都サンクトペテルブルク(当時はレニングラード)へは、早朝に到着する寝台列車で行くのだが、列車の中でふるまわれたベリージャム入りのチャイ(紅茶)がやけに美味しかった。トカチェンコさんとの交流はその後10年ほど続いたが、突然心筋梗塞かなにかで逝去されたと知らされた。私の家の玄関には、彼が土産にくれたロシアの民芸品が置いてある。時々「マツウラサン、どう~思いますか?」の声が聞こえてくるようだ。


ロシア民芸品、ニコライ・トカチェンコ氏とアトリエ訪問、ワシリイ大聖堂(モスクワ)



想いを馳せれば、ロシア文学界では「罪と罰」のドストエフスキーや「戦争と平和」を書いたトルストイといった巨匠がいる。(もっとも私は彼らの長編小説は読んだことがなく、せいぜいトルストイの民話集にある「イワンの馬鹿」ぐらいしか知らないが・・・)


美術の分野では、カンディンスキー、マレーヴィチ、シャガールといったアバンギャルド(前衛・先駆)的な巨匠達もロシアとの縁が深い。シャガールはロシア生まれのユダヤ人、写実絵画においても、イリヤ・レーピンや、クラムスコイなどの卓越した画家のことも色々と解ってきた。情緒豊かでありながら、テーマや思想が重厚であり深いのである。


エルミタージュなどロシアの美術館で圧倒的な迫力を感じたのは、ロシア正教全盛時代のイコン(聖像・聖画)であった。芸術はひとまとめに表現はできないが、ロシアの文学者や芸術家に、心理的内面描写、人間性の本質への追求が深く感じられるのは、ロシアの風土と共に、伝統的なロシア正教の影響が精神世界の根底にあるのだろうと思った。



聖母子像(イコン)、トルストイの肖像(イリヤ・レーピン画)、コンポジションX(カンディンスキー画)


2 Comments


O mickey
O mickey
Nov 08, 2020

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松浦輝幸
松浦輝幸
Nov 08, 2020

天気晴朗なれど波高し。

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