引っ越してきた下宿屋のすぐ近くの赤山と呼ばれる丘の上に、松江北高の前身の旧制松江中学の校舎があったそうだ。私の在学当時はJR松江駅に近い西川津に校舎があったが、現在は、また赤山校舎に戻っている。
在学中当時の校長であった兼折博校長が、ある日の朝礼で「二律背反」というテーマで訓示された。元より文武両道の精神を重んじる校風であったが、兼折校長が語られるには、「学業を極めることも、スポーツを極めることも大変なことである。まして限られた時間の中でそれを両立させるのは至難の業であると思う。しかし“二律背反”するような状況であったとしても、どちらも大切なことなれば、挑戦し続けなければならない」と。どちらにも身が入ってなかった私には気恥ずかし話であったが、なぜかその朝礼の話だけはよく覚えている。
時には親友と島根半島をサイクリングで一周したり、山歩きなどして気晴らしたが、学園祭の時には大いにハッスルした。クラスで相談した結果、応援合戦用デコレーションの5~6メートルもある“張りぼての仁王様”を作ることになり、そのまとめ役を任された。竹で骨組みを作り、表面を新聞紙で貼り固め、さらにその上に模造紙を貼り、ポスターカラーで色を塗って仕上げた。綱をひけば大きな仁王様が、「フレー、フレー」と手まで振り上げるように仕掛けをした。とにかく物を作る工作の様なことが大好きであったから、水を得た魚のように学園祭の準備には張り切ったのです。
地方の進学高であったので美大に進学する者など誰もいなかったが、迷いに迷ったあげく受験間近になって美術担当教師の門をたたいたのが、高校3年の11月、晩秋の頃のことでした。大森栄八郎という画家でもある美術教師は、当時唯一の美大受験生を相手に親身に指導してくれた。土壇場になって美術デザイン関係に進路を定めたのである。某私立大学の芸術学部デザイン科に合格はしたものの、まともにデッサンのトレーニングもしてこなかったので大森先生の勧めもあり、受験浪人して美大を再受験するために上京してお茶の水美術学院(お茶美)で学ぶことにしました。
ギャートルズ(はじめ人間ゴン)、松江北高校舎(西川津時代)、現在の赤山校舎
松江北高校の先輩には様々な方がおられるが、“ギャートルズ・はじめ人間ゴン、ペエスケ”などを描いた漫画家・園山俊二もその一人である。漫画は子供の頃から、三度の飯より読むのも書くのも好きだったが、園山俊二の“ギャートルズ・はじめ人間ゴン”などはユーモアがあり本当に好きな漫画の一つである。
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